見えない世界と親しむ

色んな形で見えない世界と楽しむ

そういうのは見えない(オーラ)

こんにちは。


このブログのテーマの様な「見えない世界と親しむ」話の時には、


よく出てくる話題として


「オーラ」


というものがあります。


何故か人によく聞かれますが、私は全然~~~~見えません。


毎年なぜか夏になると私なぞを海水浴に誘う、


プロのクラシック演奏家の女性がおられるのですが、


その方は、必ず別れる最後に、自分のオーラの様子や将来を尋ねてきます。


その度に「・・・あの~、


何度も言ってますが、私は何も見えないですよ?」と言います。


正直、よっぽど芸術家の方の方が感性的に、


なんなら何だってご自分で見れるんじゃん?と


思っていますが、誰もそれはされない。そこ面白いですね。


今日は、「そういうのは見えない」私の感じたことや、


ただ人間の力が大事なんじゃん?って当たり前の話しなどを


書いてみたいです。


「見える」とはっきり言う人には、私は2人しか会ったことがありませんが、


体感としては、「見える人は言わない」


が現実的には圧倒的に多いのでは?って気もしています。


「知っている人は語らない」「見える人は言わない」が、


よくある現場の実質なのでは?と、感じます。


言わない理由は、見える人の数だけあるとは思いますが、


エゴ動機ではなく、良心的なものに限って予想してみると例えば、


世界の構造・構成を知ると、言わない、言えない、とか


今はまだ言わない方がよいのが、目の前の人に限って言うと


分かるから言わない、とか?


私が出会った、はっきり「見える」と言っている人の一人は


見ててうっかり口を滑らせて、しまった!という表情をした系(笑)でしたし、


一人はいつも行っていたヒーラーさんで、これはまあ職業上の必須でもあるので


そりゃそうかでした。


面白いのは、自分程度の人間の場合、


うっかり肉眼でそういうものらを見えそうになりかけた時、


即座に「これはまずい」と感覚をシャットアウトしたのを覚えています。


こんなこと、出来るようになったらまずい。社会で生きていけない。


とか、そんな感情でした。


ちょろっと見えたのに、もうそれ以上は踏み込まないことに


即座に決めた気が。そして、そう決めたら、どこかモヤりながらも


ちょっと安心しましたが、これってなんなんですかね。


古代の人たちの社会はもっと直感的で、


普通に人間や生物のオーラなどは見えていたとか、


動物は皆今も見えているとかも時々聞きますが、


霊能者とかヒーラーとか現代で「職業」として


そういうことを明らかにしている方々以外は、普通の人が


あまり「私、オーラが見えるの~~」など言う人は、私の周りでは


その種のことを学んでいる人たちからさえも、特に聞いたことがありません。


(日本人の美徳?謙虚とか~~?)


何故か考えてみるに、大雑把な自分が「あ、これか!」と思った理由の一つは、


ある先生の一言でした。


「あ、【魔女狩り】辺りが、まだ乗り越えられていない人は・・・」


それな!!と思いました(笑)


早速、図書館から魔女狩り辺りの本を借りてきて、読みましたが(笑)


なんか読めば読むほど、うげ~って感じで、即読むのは中止して美味しいおやつ食べました。


そう言えば、昔ドイツに行った時、カミーノ友だちが


ロマンチック街道のローテンブルグの観光地に


連れて行ってくれたのですが、「おとぎの国」のお城の敷地内


っていうのに、いきなりなんか中世の「拷問道具・博物館」みたいなのに(笑)


入ってしまって、ぎょっとしたことがあります。


特に「魔女狩り裁判」の時の道具展示が凄まじく、


ちょっと暗黒過ぎて呆れて来たというか


なんぼお城感、中世感出したいにしても、これらを現物展示する感覚はどうなん・・・と


感じたのを覚えています(笑)それが何階分もあって、びっくりしました。


なんで巡礼友だちとあんな所に入ったのか、時々考えたりしました。


もしや自分もそんな目に遭ってたのか、それとも人を遭わせていたのか?など。


あと、聖地ルルドに行ったこともあって、帰国後


西洋の聖者歴伝系の本を読んだ時、ほんとに驚いたのは、


歴代の、まぎれもない聖者とか聖女と思われる人達が、


ほぼ修道院などの上司や同僚によって告発され、魔女狩り裁判に出されたり


牢獄に入れられてて、なんじゃそりゃと思いました。裁判記録に、


裁判中にもその聖者らは、身体がどんどん宙に浮いて来てしまうため、


皆で押さえつけたり、ロープで椅子に縛り付けて答えていたが、


しまいにはその椅子ごと上に浮いてしまって裁判が中止、とか書いてありました(笑)


私は別にインドびいきではありませんが、少なくともそれがインドだったら


最低でも、聖者らしき人をそのままほっとくだけなのでは?


と言うか、そこまでの聖者を


裁判なぞに掛ける発想にはならないのでは?って気も。(笑)


そう言えば、インドへ行った友達が言っていましたが、


聖者のアシュラム付近には「神を見て一時的におかしくなった人が入る病院」


てのがあって、そこで丁寧に優しく扱われ、落ち着いたら退院、みたいなとこが


あったそうです(笑)すごいおうようと言うか、大らかですね。


って、何の話だ。そうだ、オーラ。


という感じで、私はオーラは2回しか見えたことがありません。


1回は、前にも書いた、体外離脱後の朝の、自分のオーラ。


2回目、ちょっと面白かったので書きます。


私は、知的障害者入所更生施設の方では12年間働きました。


その時に、大好きだったHさんという女性利用者さんがおられたのですが、


突然、うっかりその方のオーラが見えたのです。


背が小さな方でしたが


今でもミスタービーンを観ると、Hさんの茶目っ気ある表情や、


愉快ないたずらの数々を思い出します。


言葉も喋られないのに、全身で皆を笑わせて


それがすべると本気で指を噛んで悔しがっておられました(笑)


あと、色んな状況を、どう考えても全て分かっておられる。


職員と同じところでHさんも吹き出したり。


施設内が平和で退屈すると、


Hさんは大事な漫画「りぼん」を電子レンジにかけて


ホットにしてから読んでたり(職員は事故報告書・提出(笑))


寒い季節には大事なぬいぐるみもレンチンしてあげてたり


(職員は事故報告書・提出(笑))


たとえば「どうしたらいいんだろう・・」など呟くと、


いつのまにか隣にいて頷き


「PPPPPP」という音のアドバイスをくれたり(笑)


ある日の午後、窓辺でHさんと一緒に外を眺め、再度Hさんを見ると、


その身体周辺に、美しい銀色の水銀の様な光が


止まらず、うねってひらめいて、ずっと流れ続けているのが見えました(笑)


油断していましたが、どうやらこりゃオーラみたいでした。


ふんわりではなく、ほんとに動的に流れ続ける美しい銀色で、


その流れに、ところどころ7色の虹色がひらめきながら入る、そんな感じでした。


それを見て、かねがね感じていた、「ああ、この方は一回の人生で


3回分の学びをしたいくらいの凄い意欲で人生に


入って来られたような、とても勇敢な魂なのではないかな??」


という、かねてからの自分の直感を再確認しました。


その後も、Hさんの身体の周りにスパークルの様に弾ける光が


見えたり、銀色の流れがちょろっと見えたりはありましたが、


法則はまったく分かりませんでした。


が、どこかで自分が彼女を


物凄く信頼してたのではないか?という感じはしていました。



あっ、そうだ、ところで今は「オーラ」って普通の意味でよく使いますよね。


以前、地元大学の地域英会話教室に参加して


ある日、そこに入った途端、普通の意味での物凄いオーラの女性を


目にしました。30代前半くらいの方。大らかに、にこやかに笑い


柔らかい雰囲気なのに、なんか百戦錬磨のような、器がデカイ印象、と、


何なのちょっと骨太な精神性感と、ユーモアも感じました。


ただ聞き役で受け答えされてただけなのに


もう部屋に入っただけで彼女に相当圧倒されてしまい、好奇心を感じて


近くに座りました。ここらであまり見かけたことのないスケール感。


どういう方なのか??と思いました。


分かったことには、


彼女は30代で、


2年間、中近東の難民キャンプで働いて来た女性でした。


なーーーーーーーーるほどーーーーーーーなーーー!!!


なんか深く納得しました。難民キャンプで2年間働いた!!


そりゃさぞかし、想像以上に人間力、練られただろうなぁ!!!納得!!


いやほんと、こんなでっかい感じの上司の元で働いてみたかった!!(>_<)


子育てが終わったら、再度難民キャンプ現場に復帰すべく


虎視眈々と言葉の勉強や身体のトレーニング・教養を日々身に付けているとか。


かっこいい~~~~~~。


てか、いや、こんな人を一目で見分けられた自分に、


「オーラは見えないけど、あたしゃこれで充分じゃない?」とつくづく思いましたよ?


以上、オーラについての感想でした。




読んで下さった方おられましたら、ありがとうございました。


また書きますね。


とんびオレンジ