こんにちは。この夏は暑すぎましたね。私は街のかき氷巡りをしました。
夏と言えば、思い出す仕事があります。
施設でのお風呂介助。1ユニット約20人の成人の知的障がいの女性利用者さん達
(半数は出入りや、洗体・洗髪・洗顔を、ご自分ではできないので
職員が、機械は使わず一人づつ洗う)の入浴を一人で見、
(湯上げ・着替え側は別の職員)
シャンプーしてる背後での口喧嘩勃発や、足が滑らない様にの安全配慮などで
体力・神経(利用者さんの相性把握(笑))が試されます。
夏のお風呂介助を近年の異常な猛暑の中、全国でされている方々を思うと、
ほんとうに頭が下がります。
今日は、私ごときの小さな体験話ですが、聖者のことを少し書いてみようと思います。
私には、まったくもっての単純な好奇心で、
本物の、ナマの聖者に会ってみたいという想いが昔からあります。
(インド占星術で自分を表す星が、そうしたがる9室に行ってるせいでしょうか?)
ところで、知的障害者の入所更生施設で働いている頃、
ある泊まり勤務(1人)の夜中、記録を書いてる宿直所のドアを叩く音がしました。
何か不都合があった人が来ることは時々あるので、ガラっとドアを開けたら
申し訳なさそうな顔の、時々来る利用者さんでした。
ん?何かな??
喋れない方で、黙ってこちらの手にしょんぼりと何か
渡して来ました。大きい。重い物。
自分の手を見おろすとそれは・・・・
岩の様に大きな、硬いBENの塊でした!!(笑)
2人で念入りに石鹸で手を洗いながら、
彼女の心底申し訳なさそうな顔を見ると、
夜中にぎゃああと声を出してしまった自分を、
知ってたけどやっぱ未熟者っす、と改めて認識した次第。
その後、明け方は5人くらいはこちらが起こして、トイレ介助して
パジャマから服に着替えさせるのを次々運動会でやっと終わりました。
パノラマ窓から上る、まん丸の朝陽と、美しい朝焼けを寝不足と汗だくで見ながら、
ふと、
「ナマの聖者って、どうやったら会えるのかな?」と思いました。
聖者の、あの突き抜けてクリアーで、会った途端に急にこちらに
もうここ以外、どこに行かなくてもいい感、
永遠にここでいい感、時間が消える感を自然に感じさせてくださる存在。
人間であることのとことんの探求を、すべて通って来られたのであろう
あの深い眼差しと広大な存在感。
本や動画や研究の中ではなく、今、生きて呼吸している聖者に、ナマで会いたい。
いや、柱の陰から姿を見れるだけでいい。
自分は無宗教だけど、宗教は苦手だけど、
本物なら、どこの、どんな人でもいい、とただ思いました。←無節操。
でも、生きた聖者って、どこにおられるのかな??
インドやヒマラヤに行けば、沢山おられるんだろうか。
自分には、時間もお金も休みもない。
それにそんな稀な方に会うには、自分側もきっと
ちゃんとしてたり、だいぶんの修行してないと会えないのでは??
かと言って、宗教に限らず、そもそもが団体活動が超苦手な自分、
何かに、どこかに入信するとかは絶対ムリ。それに、
本物の情報は、ネットなどには載らないものだとはよく聞く話。
ほとんど諦めかけていた頃、それでもあきらめ切れずにネットも探していると
ふと地味な記事に手が止まりました。
難民の、チベット密教の高僧が、一般の方々に、
月に一回だけ、講話会をされている・・・?という内容。
若き頃、アムネスティ本部で仕事帰りにボランティアしていて
チベット難民の方々のその苦難は、沢山うかがいました。
チベット密教については、図書館の本で読んだことは少しはあるけど、
つまりどんな??←ごめんなさい汗
その記事の高僧の方のお写真を見ると・・・
まるできれいな赤ちゃんの笑顔・・・・あ、本物だ!!
参加はどなたでも可能と書いてある。日にちを確認し、これ、行くぞ!!と、
早速、行ったことない県に、高速バスで4時間で行きました。(長かった・・)
行くまで、チベット密教の本も読みました。(アホには・・・難しかった。)
地図で何とか到着すると、ここ神社?
のちに知ったのですが、難民の僧侶の方々数人に、神社さんが修行場所を
提供されているとか。
石畳の階段があり、タルチョだっけ、色とりどりのお経?が書いてある旗が
はためいています。
というか、それまでの街中を歩いて来た時と違い、階段を上り始めた途端
上手く言えないけど、突然、まったく意識が変わり始めた感じがしました。
ほら、登山すると、ある一定の高さから、空気がヒンヤリというか、
澄むじゃないですか。
あんな感じで、急に意識がクリアーに、
なのに濃厚で、空間に滋養がある感じになってきたような。
これは・・・聖者エリアだから???そう思うと、急にドキドキしました。
階段を上り切り、見ると、小さな神社と社務所?
えんじ色?赤紫?の服で、庭を掃いておられる中年の僧の方が。
おずおずと声を掛けると、とんでもなく気持ちのよい笑顔で、
爽やかに始まるのを教えて下さいました。
ガタイがよく、笑顔とお人柄がとっても良さそうな方だなぁ。
(だいぶん後に知ったのですが、その方は服の中の方が黄色い布で、
それって前世で、生き仏だった「化身」の方の印、とか?(-_-;)
しかも実はそこにおられた数人のえんじ色の服の僧侶の方々はほとんど、
黄色い布?服?が身体側に付いておられ、
もしくは高僧のご兄弟だったもよう・・・汗)
言われた場所に、そわそわして座りました。
確かに、どなたでもどうぞとはありましたが、
自分は無宗教で、勤めているのがカトリック系の施設で、
完全な部外者。ほんとに参加してもいいのかな???
神社で御祈祷とか受ける場所の、小さい版みたいな所に、
信徒の方々か、ほんとに数人の方が座っておられました。
こんなに数人だけ??(チベットの僧侶の方も数人。)
と、日本男性が入って来られました。
大学の先生で、ありがたいことに、チベット語を通訳して下さるとか。
ここのチベットの僧侶の方々は、誰でも知ってるあの、ノーベル平和賞を受賞された、
「猊下」と呼ばれる方に任命されて、日本に来られた僧侶の方々とのこと汗。
とんでもない所に、図々しくも来てしまったのでは?汗。
と、いよいよ聖者さまが入って来られました。心臓が高鳴りました。
丸顔の、えんじ色の僧侶の服の(胴体の中の方は黄色の布の)70代?くらい?の方。
てか、物凄いデジャブ感でした!!!
(初めて禅の老師に会った時とも、何かがおんなじだ!!)
ゆっくりと入って来られたそのご様子が、
とにかく、きれい!!!透明!!!存在感が、究極丁寧で透明!!!そして畏れ多い。
本物の聖者だ!!!!おおおおおおと、圧倒されました。
皆さんがされる様に、見よう見真似で自分も、慌てて五体投地を初めてしました。
てか、これ、決まりだからでも、やらされてるのでもないんだ…
こんな存在を目前にしてしまったら、そうするしかない、素直な生き物の反応?なのかも⁇
まるで部屋じゅうに、きれいな光が炸裂しているみたい。時間は消えた。
柔和で純粋で、まるで赤ちゃんの様な笑顔。
同時に、自然界から?宇宙から??授けられたに違いない様な、
見たことない、稀な威厳があり、
私はただただ、再びポカンとして、
ひたすらそのお姿を見つめていました。
高僧さまの、とても少ない参加者を見渡す、
心底うれしそうな、ニコニコした赤ちゃんのような笑顔もおんなじ!!!
胸がいっぱいになりました。
やっと久しぶりに、生きて呼吸している聖者が見れた・・・
しかも、自分は後ろの隅に座っていたとは言え、(ほぼ2列のみ)
狭い場所だったおかげで、それでもとっても位置が近い!!!またもや!
部外者の俗人が、聖者さまと、こんなに近くていいのだろうか?と、
急に心配になりました。
自己紹介を始められました。簡素で短く、謙虚なもの。
こんな稀な方が、難民の身分とは(>_<)
お声が!!柔らかい!!小鳥???気持ち良すぎる。
チベット語がまろやかなのか?どなたでも、聖者が話すとこうなるのか?
耳に心地良すぎて、とっくに極楽。一生聴いていられる。
ふと、自分が、このままこの聖者さまを見ていると、
目がつぶれるんじゃないか??バチが当たるのでは??
と、真剣に心配になって来ました←アホ?
この状況は畏れ多過ぎる!!という焦りの感情が湧いて来ました。
と、聖者さまが、急に違う雰囲気に変わり、
とても丁寧に、心を込めて仏教のお話しを淡々と始められました。
少し話されては大学の先生が訳して下さいます。
ありがたい。下を向いて、その、初めてうかがうお話を
一字一句、集中してノートに書き取ることにしました。
(作業が出来て、どこかほっとしました。)
でも、集中してはチラッと目を上げると、すぐ至福に浸り、ぼーっとしてしまい、
我に返ると、またノートを書いて・・・と、
謎の努力を繰り返していました(笑)
今思うと、生きた聖者に会いたくて遠くまで行ったのに、その挙動って
なんなん(笑)って思いますが、あの時は本気でバチが当たると
感じていたので、仕方ないですね。
後に通訳の先生にうかがったのですが、もしチベットや
インドの難民居住地で、その高僧の名前を言って、その方と同室に
なったとか、その方のお話をナマで聴いたとか言っても
絶対に誰にも信じてもらえないだろう、嘘をつくな‼️と、だいぶ叱られるかもしれない、
とのことでした。
言うのが修行僧だとしてもおんなじで、それくらい雲の上の方、とのこと。
(なんだかデジャブ感あり)でも納得しました。
帰りの高速バスでは、とにかく放心しており、眠ったり安堵したりを
繰り返しては、自分がノートに書きとった内容を読み返したりしていました。
あの後も一年間、月一回、高速バスで行きましたが
驚くことに、どなたからも入信しろとか勧誘や圧力は一切なく、
皆さん毎月、ただただ見守って下さっていました。
その頃は、仕事の通勤中の車中から、海の沖に、
何度も虹が掛かるのを頻繁に見るようになりました。不思議ですね。
あの方は、ご高齢で、
後にインドにある難民居住地の寺院にお戻りになり、
今はこの世にはおられないそうです。
長くなりました。読んで下さった方おられましたら
ありがとうございます。
また書きますね。
とんびオレンジ