見えない世界と親しむ

色んな形で見えない世界と楽しむ

今日のヘミ・レトリーバル(救出活動)

こんにちは。今日は休みで朝から


体外離脱の実践研究者『ロバート・モンロー伝』ロナルド・ラッセル(著)


杉本広道(訳)中央アート出版社


(表紙のモンローの顔写真がいい)の本をぱっと開いたとこを読んでいました。


(ヘミは宗教は関係ありません)


モンローさんの心意気に、たとえ微量でもいいからヘタレな自分も


貢献したい、という願いを思い出し、←忘れてたんかい


久しぶりにレトリーバル(救出活動)ボランティアすることにしました。


※ レトリーバルは、死後自分のこだわり想念世界に囚われて


フォーカス27での人生反省会に、F22~26にまだいて行けてない人を色々やって


連れて還る、ヘミラー達の自主ボランティア活動です。


(まだ肉体がある人間は、周波数が重く、彼らに認識され易いため。)


ヘミシンクカテゴリーに、別投稿のレト簡単説明もあります。


(レトリーバルには実はもっと深い構造・意味・機能もあるのですが、


それはヘミ関連書で色んな人が書かれています汗。)


※ 私はただのイチ・ユーザーですので、


  誰でも練習次第でできるヘミシンクの具体的な詳細につきましては、

  
  世界各地・日本にもおられる、米国「モンロー研究所」のトレーナーさん方


  などプロにお尋ね下さい。約600回の体外離脱体験を持つ


  故人・ロバート・モンローさんの著書の代表作は


  『魂の体外旅行』『究極の旅』(日本教文社)


※ そんなこと全く信じられないという方は、ただのこいつのファンタジーとして


  お読みいただくか、すっ飛ばして下さいね。



以下、記録から。



CD&ノンヘミで行う。


フォーカス21(日本では三途の川あるとこ)へ。


野原ぽいとこで自分のメインガイドのステファーノと共に


今日のレト対象者の所へすぐ行ける設定のドアを開ける。


目を凝らすと、古い時代の風景が見えて来た。F24?


あれ?この独特の風景・雰囲気知ってるぞ?夢で何度か見たことある・・・。


中国のすごく田舎で、時代は不明、今世紀範囲?


農民ぽい痩せた女の人が、肩に青菜と果物の天秤かごをかついで、驚いてこっちを見てる。


自分は旅人の恰好。気さくに声を掛けると、


「今まで長いこと誰もいなかったのに、あんた急に出て来て驚いたよ!」と言われる。


「来る途中、市場がありましたけど、


あそこだったら、すぐ売れるんじゃないかなぁ」と言ってみる。


「ここらに市場なんてないよ?」と少し怪訝に言われる。


汗、いやありましたよ、一緒に行ってみましょ、と旅人ぽく言ってみる。


人恋しいのか、女の人はついてくる。フォーカス24~27と内心カウントしつつ共に歩く。


F27で、にぎやかな市場に到着。


お客さんを装った彼女のスタッフらが、わいわい出て来て野菜を買う。


(数人に感謝一杯で、肩を叩いて頷かれる。)レト1件終了!!




いつも通り光のシャワーを浴び、今のレトのエネルギーを流す。リセット。




ステファーノと2人でパラシュート形式で一気にフォーカス21へ降りる。


浮遊感とスピードが面白いが、あまりF26~22世界を見ない様にする。


(無限に色んな想念世界あり。)


F21到着後、メインガイドのステファーノに


「一人でも上手く出来たね」と言われる。




2件目、一緒にドアを開ける。F23辺り?


目を凝らすと、お城?フランス?ちょ、こりゃだいぶ古い時代だぞ~~汗


何世紀も、ここに居ちゃった人なのか・・・こりゃあスタッフも気を揉んでるだろな


救出、上手く行きます様に…


鎖かたびらと言うのか、頭まで全身が細かい鎖の鎧の男性が石の通路に寄っかかって


寝そべっている。右腹を押さえている。戦での出血あり?(もう死後だが・・(笑))


ちょっと線が細そうな人。


とりあえず男で同じ服装?で声を掛けると、ぎょっとする。


「どこから来たんだ?今までずっと誰もいなかったのに!」と怯えて言われる。


「呼びに来たんだ、皆、次の戦いのためにもう移動してるぞ?」


と話すと、「そうなのか」と言いつつ目を伏せる。行きたくないという


本音が伝わって来、おっとアプローチ間違えたか?とちょっと焦る。


(ステファーノが情報を投げてくれてたようだが、


キャッチし損ねていた模様)


と、後ろから同じ格好をした彼のスタッフが即座に顔を出し


「次の戦い、知ってるだろ?〇〇の奴らだ。


数は俺たちの半分、消化戦だし志気は落ちてるだろう。上官がもう負傷者は


ゆっくり休んでていいと言ってたよ。とりあえず行って傷の手当して


あそこで休めばいいぞ。」と言うと、素早く彼に肩を貸す。


さすが本人のスタッフは機転が効きすぎといつもながら思いつつ、


自分も肩を貸し、歩いてフォーカス27まで内心カウントしながら移動。


フォーカス27の野営地の様なにぎやかな場所から、男たちがにこやかに出迎え、


奥(反省会)へ連れて行く。(何百年ぶりに彼が戻り、スタッフ達に盛大に感謝された。)




シャワーでなく、モンローさんの書いていたフォーカス27の美しい公園に


行きたいとステファーノに言うと、体がもう泉に浸かっていた(笑)


素晴らしい光景。小鳥たちは美しく歌い、緑はしたたる様に豊かで


繊細で色彩多く、何より光景のエネルギー全体が超微細で全身に沁み渡る。


あっという間に浄化される。



せっかくなので、ステファーノに感謝のハグする。


「いつも守護ありがとう!」と素直に言うと、うれしそう。


ブログのことも聞いてみる。


書き始めてから、よりエネルギーが循環していて良い。


自分の本来の方向へ向かう流れの一つ、と言われる。




2人で今度は滑り台方式でフォーカス27→21へ降りる。


(パラシュートより余計な周りが見えなくていいな~。)



さ~、3件目だ!!


フォーカス21からステファーノと一緒にドアを開ける。F24?


暗いバー。ヨーロッパ?目を凝らすと、昔の背広姿?の男が一人飲んでいる。


100年位前?つまらなそうな様子。「保険屋」等の情報が入ってくる。


とりあえず同じ男の格好をして、バーに座ってみる。男はぎょっとする。


「どこから入って来たんだ??」と聞かれる。今までずっと誰もいなかったと


少し警戒されている。「そりゃドアからだよ!」など笑って


しばらく隣席の、古い時代の背広姿の彼のスタッフと2人で陽気に飲んでみる。


彼は怪訝な顔ながらも、久しぶりに他人を見、気になる様子。


すると店主らしき男(彼のスタッフ)がだるそうに、「閉店だ」と告げる。


男にぎょっとして「誰だ?今までどこにいた??」と言われ


「ずっとここだぜ。俺の店だ。」と怒ったフリをしている(笑)


次行こう!!と我々は言い、男に「あんたも来るかい?」と


声を掛けてみる。が、迷っている様子。


(彼のスタッフが)「それとも真っすぐ女房のとこへ帰るか?ワハハ」と


言うと、男が身震いし「俺も行く」と言う。


(大きな豚の絵、男が子どもと一緒に女房に尻を叩かれている絵が


浮かび、これって情報?)(なんぼ昔とは言え、女性のそんなイメージってないだろうに・・・と


げんなり・・・)


路地に出る。距離を保ちついて来る男に


彼のスタッフが「俺の女房。昔はあんなに可愛かったのに、一体なんで


いつからあんな風になっちまったんだろうなあ~~~わはは」とわざと


私に絡む。(大昔の人の感覚って、自分にはだいぶうっとおしいわ~~)


と、男が少し好奇心か、辺りをキョロキョロし始めた。まずい!!


(F22~26では、興味を引かれた誰かの世界に秒で消えてしまう汗。)


と、目の前に突然馬車が!?ナイス機転!!


「乗れよ!」と、中からにこやかに、さっきのスタッフ。男は乗った。


ほっとする。フォーカス27到着!!


ガヤガヤしたバーの入り口が見える。


顔見知りの男達が出て来て、彼を中(って反省会)に誘う。男うれしそうに入って行く。




3件レトが終わり、任務完了!!


再度フォーカス27の公園の泉に浸る。浄化。ほんとに気持ち良いが、


C1(物質世界)に還らないといけない。



と、自分のスタッフ達が数人出てくる。なんかとても懐かしい。


気付くと自分好みの木製の台、光溢れる部屋で彼らにヒーリングを受けている。


特に後頭部を優しく包み込まれ、良質な美味しいエネルギーが頭を行き来するのを感じる。


静かで神妙な空気。


終わった後、別れを告げ、滑り台方式に乗って一気にF27からC1(物質界)へ戻る。


記録、以上。



さすがに立ち上がるとフラフラしました。沢山水を飲む。


地に足を着けるためにも、胃に朝食。


残滓エネルギーを浄化し、今の体験を自分に統合するために、瞑想。



ヘミ体験時、最近ヘミラー?さんは、はっきりと


「C1(物質界)に戻った時に、今の体験が本物であるという、


私に分かる印を下さい」等も言うようですが、


私は普段、特には言っていません。


けれど、書こうとPCの立ち上げ画面、Windowsがなんと!!!


ヨーロッパの「古城」の写真になっていました。


こんなことって、ある? ステファーノ、いいのに・・・と言いつつも


やっぱり印はうれしかったです。(古城の男が一番デカい成果だったのかも・・・)



以上、今日のレト記録でした。




読んで下さった方おられましたら、ありがとうございます。


また書きますね。


とんびオレンジ

自分の、不可解な涙の理由 ③

こんにちは。Mさんとの不思議エピソードは沢山あったので


もう少し昨日の続きを書きますね。



ある日、私は色鮮やかな夢を見ました。


たぶんアメリカ南部の大きな館の緑溢れる庭で、スマートな若い青年と


彼よりもっと若い、無邪気な可愛らしい女性(少し知的な障がいがある?)が


婚約者同士で、ただ幸せそうに抱き合っている、フルカラーな夢でした。


目が覚めた時、はっきりと腕の感触までも思い出せました。


これはMさんと自分だ、と直感で思いました。


が、数日後、今度は古いアメリカの、土ぼこりが舞う街の、


そっけない部屋の片隅に、


疲れ果てたその青年が、机でがっくりと肩を落として手紙を読み、


顔を覆っている夢を見ました。彼は泣いていました。


そして現代のこの自分が、その青年の肩にそっと手を置いて


そばに立っている夢でした。


(青年は気付いていませんでした。)


彼は何故泣いていたのか?


目が覚めた時、分からなくて、それがとても気になりました。


はい、そうです、


もうここまで来たら、すぐにプロのヒプノセラピストに連絡しました(笑)



プロとのセッションを受け、意識に深く降りて行って見えた場面は、


彼らは若く幸せな婚約者同士だった、


Mさんである青年は、自分の理想から信念を持って南北戦争に出て行った、


そして遠征先で、自分の無邪気な婚約者が避難先で流れ玉に遭って


亡くなった、という知らせを読んだ、


というものでした。



私はそれまで、自分のヒプノ話を全くMさんにしませんでしたが、


予約の電話をした時にそのまま雑談になり、何故か今回は


Mさんに


「私、先日ヒプノセラピーを受けて来ました〜」と言っていました。


電話だったから言い易かったのもあるかもしれません。


「そうなんだ!!何か見た?」Mさんの声は驚きませんでした。


「アメリカで、Mさんと一緒の時代にいたようです。」


言ってみました。


「南北戦争でしょ。」


Mさんの声がしました。


えっ!?


「ちょ、なんで判るんですか!?そうなんです!!」


「○○(部族)のおじいに言われたことがあるよ。


『お前はこのアメリカで、南北戦争で黒人のために闘ったな。』って。」


まただ・・・あ然としました。


Mさんが13歳以前の昔に、現実にインディアンの方から言われていたとは。


ヒプノで見る世界は、本当に本当に、


自分の心の中のことだけではないんだ・・そう思いました。



ある時私は、フラのT先生の素晴らしいダンスを、


どうしてもMさんにも見てもらいたくなり


特別にお願いして、閉店後、Mさんの目の前で踊っていただきました。


T先生は一目でMさんと何かが通じ合ったご様子(笑)


予想通り、二人は初対面なのに、まるで幼馴染同士のように笑っておられました。


T先生は一曲だけいつも通り美しく踊って下さいました。


見終わったMさんは興奮の様子で大拍手し、


「いやあ、凄かった!!鳥肌立ってるよ‼️

なんなんですか、これ。凄く美しかった。

感動した!!


始めから、もうTさんの全部のチャクラから


大量の光が、ばあああああっって出て炸裂してさ、


眩し過ぎて俺、一瞬全然何も見えなかったもん。


いやあ、良いもの見させていただいた、ありがとうございます!!」と言っていました。


誇らしい気持ちと、


「やっぱり!この二人は通じあったし、同じ言葉を使う」とも思いました(笑)



ある日、私が自慢の切り絵コレクションをMさんに見せたら、「俺にもできそう」と


言い、彼も作るようになりました。


Mさんの切り絵は、白い紙が自然とか妖精、天使などのモチーフや


光景になっているものが多く、


いつも青い模造紙をバックに、鮮やかなコントラストで使われていました。


どれもシンプルで美しいものでした。曲線は大胆に力強く美しく、感心しました。


その後、ハワイの、プロのハワイアンキルターの工房所属の縫子さんが、


日本で整体に来て、階段の壁のMさんの作品に感動され、その方の上司の


有名なハワイアンキルターさんから、正式にコンペティション作品の


型紙制作を依頼された、と聞きました。


中央に森のデーバ?森の王?が周りの自然と一体になっている様な


力強くもシンプルな作品でした。天上界のような、地上の楽園のような作品。


Mさんの実際の自然界への深い理解が、直接表れている気がしました。


でもMさんは、そのプロのキルターの申し出を断ったとのこと。


「自分の切り絵は、お金にするつもりはないんだ。」


Mさんは言いました。



Mさんは毎月、私の参加していた地下画廊の集まりに切り絵作品を


提供してくれるようになり、気付くと必ず私も一緒に、


閉店後の制作を見守る流れになりました。作った作品は全てくれるとのこと。


その魔法の世界の様な制作の時間は、毎月私にとって、いつも不思議で、


会話も、とても楽しい時間と空間でした。


お返しに、


私は神在月の出雲大社近くの浜で沢山の桜貝を拾うと、


それを桐の木箱に綿を敷き詰めてMさんにあげました。


「こういうのが、一番うれしい」


Mさんはとても喜んで言いました。




Mさんと一緒に働かれている女性整体師さんが、


「〇〇さんと話してる時、M先生、ほんとによく笑って


沢山喋りますよね。いつもは静かなのに。」


と言われました。全然知りませんでした。



その頃には、自分はMさんのことが好きかもしれない・・・


と思い始めていました。


が、きっと彼女がいるよ、自分はただのお客さんだろうな・・・


と思い、諦めていました。



ある時、整体後にMさんがポケットから何か取り出すと、


「あげるよ、お守り。」と言いました。


見ると、表面に天使のある、銀のコイン状の物でした。


好みで喜んでいると、「よかった。デザイン描いて、


知り合いの工房で作ってもらったんだよ。」とのこと。


うれしかったので、お誕生日だと聞いていた日の夕方


仕事帰りにちょっとした物を買って、お家のドアに掛けておこうと


寄ってみました。


が、窓から、可愛い女性がソファーに座っているのが目に入りました!!!


ドキドキして、慌てて走って帰りました!!


あっと言う間にまた失恋です(笑)しばらく落ち込みました。


友だちに、「それが彼女だとは限らないじゃないの!!


ただの誕生会の仲間とか、友だちかもしれないよ!


聞いてみたら?」


とも、言われましたが、「誕生日に部屋にいるのは彼女でしょ!!


もういいの!!」と答えていました。



その後、当時もう燃え尽き症候群になっていた仕事も、


コケてばかりの恋愛も、全部仕切り直そう!!と、思い切って


退職とスペイン・サンチャゴ巡礼を決めました。



Mさんには日本から巡礼に旅立つ当日に、リュック姿で報告しました。


Mさんはかなり驚き、戸惑った様子でした。そして、


「その巡礼のガイドブックを見せて。早く。」と言いました。


スペイン語のしかなかったのですが渡すと、


Mさんは急いでそれを見、


「酷いな。こんなデタラメな本、持って行かないで!!


地図が全然違う!これ捨てて!!」と言いました。


プロレスの世界巡業時、スペインは結構滞在したとのこと。


「巡礼中に、時々は俺にも電話下さい」とMさんは言いました。


(一回だけ、電話しました。)



その後、無事に徒歩780キロの巡礼を終え、お店にお土産を持って行くと、


Mさんは「無事で本当によかった!心配で、ずっと祈ってたよ!!」と


ハグすると、私を見て目を見開き、


「前と全然オーラが違う!凄くイキイキして、


なんだか人間がでっかくなって帰ってきた!!」と、


再会をとても喜んでくれました。


うれしかったですが、私はすぐに完全に遠い地元に帰りました。



カトリックの修道士さん達が作ったという地元の障害者施設に


再就職した私は、クリスマス会の飾りつけ係になりました。


これは絶対に天使とか聖母マリア様だ!と妙なイキリ方をした私は


思わずMさんに連絡していました。


Mさんはわかった、クリスマスまでに3つの切り絵を制作する!!と


言ってくれました。


が、その後、Mさんのお父様が亡くなったと連絡が!!


衝撃で、お悔やみと同時に当然飾りのことは断わりましたが、


3つの作品がクリスマス前に届き、本当に驚きました。


戸惑って御礼の電話をすると、


お父様が亡くなったことが、信じられない当日夜も、


作品を制作し続け、周りから止められた、


けれども、夜通し手を動かし続け、没頭し続けたんだ、とのこと。


涙が出ました。


丁寧に3つの作品を額縁に入れ、眺めました。


一つは聖母マリア様、一つは天使たち、そして


一つはギリシアの女神の切り絵。どれもとてもとても美しかったです。


心に沁み渡る清らかさに、時を忘れていつまでも見入っていました。




Mさんのことを忘れて数年後、


地元で訪問介護している時に地震に遭いました。


無事に落ち着いてから光るスマホを見ると、メールが一通届いていました。


なんと懐かしいMさんからのものでした。驚きました。そこには、


「大丈夫?怪我はしていない?何でもするから言って。」


そう書いてありました。感動しました。


ただ、時刻が、地震発生時刻とほぼ同時でした。


こんなことって、ある!?


昔と同じ自分の台詞に、ただただずっと微笑していました。



以上、長くなりました。


読んで下さった方おられましたら、ありがとうございます。


また書きますね。


とんびオレンジ

自分の、不可解な涙の理由 ②

こんにちは。昨日の話の続きを書きます。



Mさんは言いました。


「コロッセオの夢ってね、


いつも同じで、俺が何かと死ぬ気で闘っているんだ。


そのたんびに俺は、相手は一体誰なのか、はっきり見ようとするんだけど、


いつも何も見えない。ただただひたすら怖いだけなんだ。


びっしょり汗をかいて、飛び起きるだけ。」


『あなたのその相手はライオンです』という言葉は


永遠に言えません。が、


こんなことって・・・ある???とテーブルの下で足は震えていました。


ヒプノという最近の私の「見えない世界」と、


何十年も前からの、彼の現実が、リンクしていた??汗。



「だからさ、やっと大人になった時、夢の意味を知りたくて、


ローマまで行ったよ。コロッセオに行ったんだ、もちろん。だけど


俺、コロッセオに到着した途端にどんどん気分が悪くなってさ、


なんかただただ寒気がして、走って逃げたい、怖いだけなんだ。


やっと写真を撮ったけど、とてもここに長くは居られない、って思って


すぐそこを出て、宿に帰っただけ。もう二度と行きたくなかった。」


Mさんは続けました。


「子供の頃、その怖い夢を見て起きるたび、俺は


”大きくなったら、俺は、誰よりも強い男になるんだ‼️”って


何度も自分に誓ってたな~。」と。


胸が詰まりました。




「もう一つの古代ギリシアの夢はね、コロッセオよりずっと良くてさ、


それも子ども時代から繰り返し見てた。自分は夢でも子どもでさ、


高い丘の上に駆け上がって、自分の住む街を見下ろしてるんだな~~。


何か神殿があって、とても美しい故郷で大好きだった。


ただそれだけなんだけどね。


自分はあの街で育ったんだって気がしてたよ。」


ああ、Mさんが見てたのが幸せな子どもの頃の夢で、よかった。


ほっとして、心底そう思いました。




と、どこかから、Mさんは、違う写真を持って来ました。


「これはね、泊まったギリシアの宿の人が教えてくれたんだけど、


明日の朝、何時何分にここの窓に立ったら、


朝の光で数分間だけ海底の古代遺跡が見えるよ


一日のうちに短いその時間帯にしか見えないんだよ、って。


見て感激したよ〜〜、早く起きて撮ったよ~~。これ。」


そんなことって、ある⁇ 汗。



施術後に、部屋のピアノに目を留め、尋ねると、


Mさんは「下手だけどね。」と少しメロディを弾いてくれました。






帰りにMさんに封筒を渡され中身をみると、先ほどの写真が


全て入っていました。私に?汗。



そんなことがあったしばらく後、日々放心していると突然、


3年も付き合っていた、当時の彼氏の浮気が発覚しました。


全く気付いていなかった〜〜真っ青。


相手の美しい女性と彼氏とのカフェでの3者話し合い、


漫画の様な女の意地の修羅場をいくつか経、


結局はお別れになりました。


平静を装いつつも、自分への自信がだいぶ揺らいでいました。


しばらく落ち込み放心後、仕事だけに取り組み過ぎでぶっ倒れてから


またMさんの施術を予約しました。


が、自分のひどい近況は何も言いませんでした。




Mさんはまた笑顔でラブリーなお手製ケーキを出してくれて、


施術前なのに笑、ゆっくりお茶を飲みました。


施術を含め、そこにいる間、ぽつぽつと彼の人生のお話を聴きました。


聞いたことも見たこともないようなお話しでした。



お父様は小さな息子Mさんを連れて渡米し、


ある大自然の中の建設会社?の創立メンバーになった。


が、Mさんは米国の小学校でいじめられ馴染めず、


いつも大自然が友だちだった。


嵐のあとはお父様とポーカーで負けた方が森に入って、


嵐で死んでしまった野生動物を拾って来、


火を焚いて男同士ワイルドに一緒に肉を食べたりもした。


が、お父様は普段はお忙しく、実質Mさんは鍵っ子だった。



そんな日々、一人ぼっちの少年はインディアンの集落を見つけ、


そこによく遊びに行くようになった。


そこでは誰もが彼を優しく受け入れた。


「○○って知ってる?」とMさんはある有名な部族の名前を言いました。


○○? ネイティブアメリカンの??インディアンの???


「いつも俺、あそこに入り浸っててさ、皆んなから


色んなことを学んだ。じいちゃん、ばあちゃん、お母さん、


お父さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、子ども達、


じいちゃん達。


俺は彼らに育ててもらったようなもんでね。」


でも13歳になった時、お父様が日本に帰ると決められた。


彼らともお別れだった。


「その時お別れで、(部族の)おばばにもらった指輪がこれ。」


見ると、がっしりしたシルバーの土台に、


笛を吹く、その部族固有の人形マークがありました。


そこに大きな水色のターコイズが乗った、


大小の指輪が2つペア。


初めて見る重厚さに感心していると、「これあげる。」


Mさんが、小さな方の指輪を私に渡して来ました。


焦って慌てて断わりましたが、Mさんはただ笑い、


ターコイズの羽根柄のはめられた、シルバーの指輪も一緒にくれました。


(何故その指輪の柄に惹かれてたのが判る??汗)



帰国後、Mさんは日本の高校のインターハイで


レスリングの一部門で全国優勝し、有名なプロレス団体に入った、


世界巡業も何度も行った、とのことでした。


「まさに少年は、強い男になったんだ・・・。」そう思いました。




お父様は鉄の信仰を持たれた立派な方らしく、


帰国後は地方で小さく建設会社を営まれ、


そこに沢山の刑務所から出所された人々を迷わず雇い、


皆に慕われていた、とのこと。


「インターハイの決勝には、坊ちゃん~~~頑張れ~~って


その全員が来ててさ。大幕貼って、もう大騒ぎ、笑」とMさん。



俺は自分のおやじを尊敬している、おやじの何分の1でもいいから、


俺も人の役に立ちたいと思ってさ。


Mさんは明るく言いました。



しばらくして、Mさん自身の、整体の新しいお店がオープンしました。


光と植物に溢れたお店ですぐに繁盛していて、


まったく予約が取れませんでした。が、時々私も


友だちや知り合いにお店を紹介したり、連れて行きました。


その中に、あまり人に見てもらえない、マジシャンの卵の若者などもい、


閉店後のお店で彼のマジックを見、Mさんは心から褒めました。急に


ササっと手持ちの紙で、美しいギリシア女神の様な繊細な切り絵を作ると、


それをブルーの紙に貼って手渡し、彼の前途を祝福しました。



上気した若者が帰った後、Mさんは何気なくトランプを取り出すと


「何でもいいから好きなマークと数字を言って。」


と私に言いました。


??と思い、「ハートの5」と言うと、Mさんは


一発でそのカードを出しました。  


え?


そして次々とどんなマークの数字を私が言っても、


淡々と言われたマークの数字を出し続けました。


びっくりして声も出ません。間近で見ても何もわからない。


「こ、これは・・・・   マジックなの???」


「違う。」 Mさんは言いました。


違う???


「・・・俺達には、これは簡単なことなんだよ。」とMさん。


??俺たち? 俺達って?




当時の自分には、色々なことが、ただの謎にしか見えなかったですが、


年月を掛けてゆっくりと、この現象界についての理解?を自分なりにも


地味にコツコツと深めていると、


少しづつなのですが、かつてのバラバラだった謎が、ゆるやかに


自分の中で実感として一つに、明らかになっていく・・・


そんな感触に、今はなって来ています。




不思議なMさんの現実と、私の「見えない世界」がリンクした話は、


まだ続きました。


が、書いてたら長くなったので、


それはまた書きますね。




以上、


もし読んで下さった方おられましたら、ありがとうございます。


とんびオレンジ

自分の、不可解な涙の理由

こんにちは。


今日は自分がよく「歩く神殿としか思えない」と本人に言っていた


不思議な男性のお話を書いてみようと思います。


これも「見える世界」と「見えない世界」がリンクした話でもあり、


エピソードに溢れた、自分が出会った不思議な人の一人でした。



ある日、とても疲れている時、職場の最寄りの駅付近で、整体院に気付きました。


お店の感じが良さそうだったので尋ねてみると、予約なしでもオッケーと。


施術を受けました。


担当はにこやかでソフトな感じの、ガタイのよい整体師さんでした。


びっくりしたことに、施術がとても上手い。


これは大当たりと思っていると、帰りに何か薄い箱を渡されました。


サンプルとかサービス品かと思って受け取り、家で見て開けてみると、


とっても高価そうな、新品の細い漢方薬エキス??が10本入っていました!!


再度訪問し、この件を聞いてみると、


なんとあれは、その方のご自分用の購入品だったけども


今は自分よりこの人に必要みたいだと思い、ただあげただけ、


とのことでした。


びっくりして値段を詰めて聞くと、12,000円もする品のようでした汗。


初対面だしその値段はあり得ないので、返すだの払うだの言うと、


この話は終わり、と思いがけず、きっぱりと言われました。びっくりしましたが、


ご厚意ということで、あまりガタガタ言わず受け取ることにしました。



その整体師Mさんは、話してみるととてもユーモラスな方で、


施術も上手いし、気付くとよくそこに通うようになっていました。


行く度にしょっちゅう爆笑させて下さり、信じられないくらい話し易く、


リラックスできるし、いつもとても楽しかったです。


私としては当時の彼氏と行った沖縄旅行のお土産を届けたり、


仕事の愚痴を聞いてもらったり、冗談も通じるし、


いつも居心地がよかったです。


当時の彼氏とMさんは同じボクシングジム通いだったらしく、


「彼氏はあの可愛い人か~。」と笑っていました。(本人はイケメンのつもりだったが)


他の整体師さんによると、何でもMさんは有名なプロレス団体の


ヒール役レスラーから整体師に転身した人、とのことでした。プロじゃん(笑)


そんな人に初めて会いましたが、


ヒール役だったとは信じられない程


Mさんには清潔感がありました。(あ、覆面を被ってたのかな⁇)




定期的に通ううち、Mさんとは段々とお互いかなり


リラックスしていつも爆笑、気兼ねなく


ラフに話せる感じになっていました。他の整体師さんによると


しばらく行かないと「あの子、大丈夫かな・・」とよくMさんが


つぶやいて心配していましたよ、と言われました。(何を???)



そんなある日、突然に、Mさんが退職して故郷に帰ってしまった、


急にお母さんが倒れて介護が必要で、と他の整体師さんに聞かされました。


とても残念に思いましたが、それは仕方ないことだとも普通に思いました。


そのままいつも通りに生活していたのですが、ある日、ふと、


自分の両頬が濡れているのに気付き、ぎょっとしました。


何も悲しくはないので最初、汗かと思ったくらいで、相当疑問に思いましたが、


仕事の疲労蓄積とかストレス反応かな??と特に気にしない様にしました。


が、それから、仕事中も、料理中もまったく悲しくもないのに


気付くと両頬が濡れており、


考えてみてもその頃、そこまでのストレス反応が出るほどは仕事も辛くはなく、


当時の彼氏とも上手く行っていたので、何か尋常ではない感じがし、


丁寧に瞑想してみました。するとどうやら自分は


あの整体師さんがいなくなったのが悲しいようだ・・・と気付きました。


かなり驚きました。



「えーっと、私ったらあの人のことを好きだったの!?」と疑問に思いましたが、


どう考えても、ただ施術が上手い整体師さんで、話していると気が合って


とても楽しいけれど、お互い特に恋愛感情はない、


というラフな間柄の気しかしませんでした。話題も


Mさんのトレーニング話を聞いたりと、いたって普通だったし、


訳が分かりません。


が、それでも気付くと頬が濡れていることが繰り返されました。




ちょうどその頃、ブライアン・L・ワイス博士の「前世療法」という本に


自分がハマっていて博士の講演会でサインをもらったりしたこともあり、


この疑問と、本の内容自体への好奇心を一挙に解決しに行きました(笑)



そこからプロのヒプノセラピストのところへ通い、


驚愕の体験を色々としたのですが、なんと少なくとも合計7回は、


Mさんと一緒の過去世があったもよう~~~~~(笑)←あり過ぎ



どれも、とても深く感情的なヒプノばかりだったのですが、


毎回ヒプノセラピストさんが、すべて正確なレポート作成をしてくださっており、


それが今も手元にあるので、詳細はまたいつか書くにして、


今日は、はしょって重要な人生だけ、ざっと短く書いてみると


〇 古代のギリシアで、神官だった父親(Mさん)が


  神託を伝えた内容が、どうやら土地の有力者の若い息子の不興を買い、


  訂正を強要された。が、神官が一切拒否したため彼は刺される。


  死にゆく運ばれる父親の様子を見、


  泣きわめく彼の小さな子どもだった自分。


〇 古代ローマのコロッセオで、自分はローマ兵隊の中間管理職みたいな地位。


  空腹のライオン達の餌食の見世物にされる初期キリスト教徒?達の


  初老のリーダーだったMさんを個別に呼び出し、


  今すぐそんな信仰は捨てるように必死で彼を説得するが、


  静かに拒否される。


  コロッセオでの残酷な彼らの姿を見ることはとても出来ず、


  絶望して一人、自分の頭や腕を石の壁にぶつけて血を流していた自分。


という過去世の場面をありありと見ていました。



ローマ兵の場面では、ほんとうに自分のこぶしに生々しく痛みを覚え、


でもそんなこと全く気にならないほど、


心の嘆きの方が何倍も大きかったです。状況に、彼は絶望していました。



セッションの度にどんどん、色々と自分の反応を理解していました。



そうか・・・


なんて、ハードモードなんだ・・・汗


そりゃ~~またの別れに泣くわな・・・


と、納得の人生ばかりでしたが、


涙の謎が解けたところで、


今の現実界ではそんなのまったく関係ないし


そもそもが、Mさんとは、もう会えない可能性も高い。


せめて最後のダメ元として、


今までの御礼と、お母さまへのお見舞い金を


同封した手紙を書きました。


同僚の方に、もしもいつかMさんにまた会う機会があったらこれを


渡してもらえないかとお願いして、結果は神のみぞ知る、で、


社会人としての精神衛生的にも、この件はもう忘れることにしました。



が、2カ月ほど経ったある日、


手紙に書いていたメアドにまさかのMさんから連絡が来ました。



喜んで書かれていた携帯に電話すると、懐かしく元気な声が聞こえました。


故郷のお母さまは元気になられ、


自分のことはいいから都会にすぐ戻れと言われたとのこと。


お兄様に任せて再度同じ街に戻り、今は自分の整体院の開業準備中だ、とのこと。


前のお客さんで、やはりMさんの施術をどうしても受けたい人も数人いて、


請われて自宅の一室でオープンまでの日にちはやっている、とのこと。


喜んで自分も予約をし、またうかがいました!


ヒプノのことは、一切言うつもりはありませんでした。



玄関先で、(色んな意味で)久しぶりに懐かしい笑顔に会い、


素直に笑って喜んでいました。


しかし、お茶を入れるからと通された居間に座った途端、ぎょっとして


固まりました。


なんと、そこには、テーブルに敷かれた透明のビニールカバーの下に、


沢山のローマ・コロッセオの写真が並べてあったのです。


目を見開き、少し足が震えました。


これは、一体どういうこと????脂汗が出て来ました。


玄関入ってまだ5分も経っていません(笑)


お盆に手作りケーキと紅茶をのせて、にこやかにMさんが現れました。


自分はプロレスラーを引退した後、お菓子の専門学校を卒業したんだ~~


とラブリーな話で笑わせながら着席したMさんと、ひとしきり近況報告をしてから、


内心緊張しつつも、さり気なくコロッセオの写真のことを尋ねてみました。


するとMさんの口から明るく、驚きの言葉が出て来ました。


「俺ね、子供の頃から何度もいつも同じ夢を見てたんだよ。


それが、イタリアのコロッセオの夢と、古代ギリシャの夢だったんだ。


特にコロッセオの夢は、ほんとに怖くてさ、毎回いつも汗びっしょりになって


飛び起きていたんだよ~~。」


Mさんが静かに話し始めました。


思いもかけず、現実と「見えない世界」がリンクし始めました。



と、長くなりましたので、続きはまた明日書きます!


読んで下さった方、おられましたら、ありがとうございます。


とんびオレンジ

呼びかけに、風が応える人 ②

昨日の続きを書きます。



ご家族のフラを拝見した後日、なんとT先生のご厚意で、


ご一行に一曲教えていただける、その内輪の室内ワークショップに


この初心者へっぽこまでが参加させていただけることになりました涙。


って、真っ青。これ以上のプレッシャーってないのでは・・・・


内心相当震えました。かちんこちんに緊張マックス。


そして、どういう訳か、自分の目の前に若きクムフラとご祖母様が??


近い・・・近すぎる・・・脂汗が・・えっとこの事態は・・・・そして


クムフラも踊られる??


幸い、どうやらこれは動き廻るフラではなく、膝で立って地面に座る形。


両手に小石をカスタネットの様に持って上半身だけの


シンプルな動きのものでした。踊りではないのかも?(ほっ・・・ってそうじゃない)


もしかしてまさか、これは踊りじゃない?ということで


可能な限りギリ、参加者に寄り添ったセレクトをされたのでは・・・???


そして笑顔でおられるけども、もしや、ほんとはどこかがまだしんどそうな気配???お熱は??


心配でした。なのに、ほんとにその・・・上手く言えないのですが


圧倒的に、この場、光の量が多い?


とにかくきれいなエネルギーが循環している・・・?


この方は、どこまでも柔和で、本物の優しさが全身から溢れ出していて


ご祖母様もまったく気どりない、優しさと温かさが溢れておられ。


空間に、もはや現実味がない・・・


まさか古代じゃなく現代の時代に生きてて、大都会の真ん中で


急にこんな豊かな体験をさせていただけるとは。


わしゃ一生の運を使い果たしたんだろうな・・・


と、それどころではなく、必死で教えて下さる身振りを覚えて動いていました。


歌われながら両手の小石を打ち鳴らすのは小気味よく、


シンプルながら、その後ずっと心に残ったものでした。


初心者が必死でついていって、無事に終わった時は、心底ほっとしました。


もう色々といっぱいいっぱいだったせいか、帰宅するとぶっ倒れて


ひたすら深く眠っていました(笑)



翌日の休日は、皆さんは隣の県の遠方へご移動だったし、


自分も仕事の疲労蓄積で体力もギリギリ、一日ゆっくり休むのが自然・・・・



なところでしたが


早朝起きたらもう居ても立ってもおれず、また電車に飛び乗っていました(笑)


電車に揺られながら、


あの、風がクムフラの呼び掛けに応えた時の様子を


ぼんやりと思い出していました。


人間の呼び掛けに、風が応えた。大勢の人が見ていた。


大風が、彼に応えていた。


あんなことがあり得るんだ・・・この目でナマで見た・・・・


ご本人らは、当たり前の様に、そこになんの不思議も感じておられないご様子だった。



駅に到着するとタクシーに飛び乗って、地方の田舎の体育館に辿り着き、


急いで、空いていた一番前の角のスチール椅子に座りました。


また会は始まりました。


体育館ということで、前回とは違ってどこかカジュアルでアットホームな場の雰囲気。


無心に、ひたすら皆さんご一行を見て聴いていました。目の栄養すぎる。


ご本人のお話しによると、10代の頃、本国文化の中でご自分は


誰も手が付けられないほど荒れておられた、とのこと。


でもそこで出会えたハワイ民族の歴史や、本来の文化、特に航海術によって、


ご自分の歩むべき正道を発見することが出来た、とのことでした。


ご先祖や、ご自分の道に対する想い。


始終明るく、優しくお話しされていました。


ご家族の歌やフラもまたご披露され、会場全体が始終温かく優しい、


穏やかな雰囲気になっていました。



気が付くと時間は早く過ぎ、もう会の終わり。


素晴らし過ぎて色々と、しみじみした気持ちでいっぱいでした。


穏やかで平和な空間でした。


空間自体が、栄養になってる・・・。自然に自分も、呼吸が深くなっている。



と、ここで、なんとクムフラから、今日出会えた温かい皆さんのために、


簡単なフラを一曲踊りたい、と急にお申し出があったようでした。



そ、そんなことが?あり得る??(絶句)



神事のではなく、ハワイで昔から有名な一般のラブソングですが・・・


とのこと。なんと。


ご兄弟がラフにギターをかき鳴らすと、クムフラが


あの麗しい豊かなお声で、ご自分で歌いながら、


軽やかに踊り始められました!!!これがラブソング!?


あり得ない。初めて見る。全身で踊られるのを?ナマで見る?



と、


えっ??



あの方は・・・・・


人間ですか?


もしかして、身体が水??


ほんとは水なんです、とか?


水の精なのですか??もしや全身が、水の塊でおられる???


動きのどこもが、常にダイナミックに静かに流れ続けていて、


引っかかる・留まることがなく


でもただの「上手」とかそんな質ではなく・・・何と言ったらよいのか・・・汗


やはり流れる、生きた水の精ですか?なのに、どの動きも軽やかで。


そして自然で、ただただ美しい。


人間のあの動きの印象は初めて見たし、動きと在り方があまりにも


既知の予想を越えていて、ちょっと放心してただただ見入っていました。


一般のラブソングです、ってあなた様・・・・


そうやってほんとに凄い人は存在しておられるんだろう・・・


この地球上の、あちこちに。


全てがあまりにも美しい・・・涙出る。沁みる。


(愛らしい「カピリナ」という曲でした。)



この肉体も自然界として一緒に大切にしつつ


同時に、外の大自然にも耳を傾け続け、決して置き去りにしないで


自分を丁寧に成熟させ続けて行くと、きっとあんな風に、


総合的な人間、どこへ行っても光の量の多さが溢れてしまって隠せない、


常に流れる水のようでもあって、広々とした存在感の、心優しい人、


になれるのかな・・等、色々感じました。なんにしても、美だった・・・



会が終わった後、T先生に呼ばれ、なんとクムフラと一緒のお写真に


入らせて下さいました・・・・あり得ない。(家宝)



全てが終わって、せめて自分も賛同の署名と寄付をし、


さあ帰ろう・・・として、


あっ、



「財布が空である。」


やらかした・・・。


ぎゃ~~~~~


と、


目の前に、T先生の旦那様が、ほんとに急に現れました。


「どうしたの?大丈夫??」と。


焦ってお話しすると、即5千円をも貸して下さいました!!


やらかしたご迷惑に申し訳なさでいっぱいで、心底からの御礼を言い、


帰路につきました。


ちゃんと地面に足着けて戻って、しっかり帰らないと!!!


そしてまた、あのカピリナの曲と踊りを無限に思い出しながら


無事に帰宅しました。(お金は後日ちゃんとお返ししました!!)



以上、昨日の続きのお話しでした。


読んで下さった方おられましたら、ありがとうございました。


また書きますね。


とんびオレンジ

呼びかけに、風が応える人

こんにちは。


皆さんは、「呼びかけに風が応える人」を見られたことはありますか?


私は一回しか見たことがありませんが、


一人いればきっと世界にはもっとおられるんだろうなぁと、思っています。


今日はそのお話をしてみたいと思います。




以前、都会の地下画廊での集まりに


誘われて以降定期的に行ってたことがありました。


リーダーはピアニストの方でした。フィンドホーンというスコットランドの


不思議なエコビレッジに行っていた日本人の方々が、寄り合っておられるようでした。


その中に、ほんとに素敵な女性って印象の、初めてお会いしたTさんがおられました。


理想のお姉さん、理想のお母さんって雰囲気の方でしたが、


何故か皆に優雅なダンスを披露され始めました。何気なく見ていたのに


突然意外にも、それがほんとに優雅で心底優しくて、


私はまったく見たことのない踊りで、急に深く感動していました。


(古いですが、ケアリィレイシェルの涙そうそうとか、


あんな優しい動きの感じのダンス)


あまりにナマで素晴らしい動きを初めてみて驚き、私はすぐにその女性、


Tさんのところへ駆け寄り、


「信じられないほど素敵でした!!びっくりしました!!!


初めて見ました。一体これはなんのダンスですか?」と聞きました。


その方は


「これはフラです。」と素敵な笑顔で言われました。



フラ!?これがフラダンス!?って??


いや全然違うでしょ!?



私はその少し前に、都会の福祉施設でなぜか現場職員の功労賞みたいなのをもらって


全国的にも都会のエリアでも、色んな会長をしてた上司のポケットマネーで


他の数人の受賞スタッフと共に、一週間のハワイ休暇をいただいたことがありました。


その時に何回か観光地でフラダンスは見たことがありましたが、


Tさんのその時に踊られていたものとは


全く違う感じがしました。詰めて聞くと、それでも


「フラですよ」と言われます。う~む、


謎でしたが、こういうことには鼻の利く?私、気が付くと


「そのダンスをぜひ私にも教えて下さい!」


と、早速この口が先に言っていました(笑)


が、


「ごめんなさい、それは出来ません。」ときっぱりと、ソッコー断られました(笑)


「私はいつも部屋で一人で踊っています。もっと正直に言うと


私は神さまにしか自分の踊りを見せたことがないんです。でも今日は


フィンドホーンでお世話になった方々に御礼の気持ちを込めて


少しカジュアルなダンスを、初めて人の前で踊っただけだったんです」


とのこと。


そうなんですか・・・とがっかりしつつも、あっさりと引き下がりました。


でも、もしまた踊られることがあったらぜひまた拝見したいので、とお願いし


連絡先を交換させていただきました。




が、その一週間後、急に連絡がありました。あのTさんでした。


「あのお話はまだ有効ですか?」


と真剣に言われました。びっくりしました。


「有効も何も・・・・もちろんです。」


と答えると、「急ですが、私、お受けします。」


と決意を込めた感じで Tさんに言われました。


びっくりしていると、あれから Tさんの心に


「あの申し出を断るべきではなかった」という想いが


繰り返し出て来た、ということで連絡された、とのこと。


「貴女が私の初めての生徒さんですね。」と。


急な展開に、ほんとに驚きました。



初めて知ったのですが、フラは本来はハワイ古来からの「神事」で、


神さまに捧げる踊りだったとか。(詳しい方、ざっくりでごめんなさい汗)



レッスンを始めてから思い出したのですが、そう言えば


私は運動音痴でしたわ・・・(笑)


中学の時は新体操部でしたが、走るのとかは不得意だし、


福祉の仕事で身体はいつも疲れていたし。


でも Tさんのこのダンスに対する想いは


真剣そのものでまったく妥協がなかったです。私は正直Tさんのダンスを再度見るために


習っていたようなものでした(笑)このへっぽこに対しても、Tさんは熱中すると


「では第4チャクラから手をもっと遠くに伸ばして・・・」


など言われ、は?となったりしました(笑)


オフロードバイクのワイルドで寡黙な旦那様は


どうも普通に霊視できる方みたいだし(隠者って結構いるんだな遠い目・・・)



そんなある時、Tさんからクムフラって知っているかというお話がありました。


???まったく知りませんでした。


歴史上の暗く悲しいハワイ5島の、原住民の方々の弾圧の時代を通しても、


ずっとハワイ古来からの伝統は、心ある方々によって密かに護られ続けて来た、


とのことで、各地のリーダー?のクムフラになるには、


ハワイ5島の長老会議?で満場一致でないとなれないとか。


なれる条件としては、古来からの神事のフラを完璧に踊れるスキルはもちろん


ハワイの古代からの伝統に対する知識と実践力、


古くからの農業や航海術等の実践スキルのマスター加減


リーダーとしての人間的素質、


そして何より、霊的な力


などの総合力を、長老会議で認められなければなれないということでした。


(うろ覚えのざっとした記憶で、間違ってたらすみません汗。)



で、今度Tさんは、一人の若きクムフラがご家族と一緒に


日本に来られる時のスタッフの一人になられるそうで、


なんでも当時ハワイ5島で最年少で、クムフラになれた凄い方


とか。そんな方が?びっくりしました。



そして、教えられた日時に


教えられた公園の中の野外劇場に行ったところ、


結構、客席にはぎっしりと沢山の観客がいて混んでいました。


そして会が始まったのですが、スタッフの方々の説明に胸がキリキリしました。



この方々が来日したのは、日本企業のリゾート等開発?のために


彼らの古代からの聖地の先祖のお墓の骨が行方不明になり、返却の訴えが


なかなかどこにも聞いてもらえないため、来られたのだとか。


有志とスタッフの手弁当と運転の協力で、ご家族は日本各地を小さな車で廻られ


理解や協力を得られたいとか。


そんな・・・そんなこと・・・。ショックでした。


客席の半分くらいの方々も、初めてこのご家族の来日の意図を知ったようで、


辛い表情をされてました。


と、その説明の後、まず先にとても感じのよいファミリーのご紹介があり、


とうとうその若きクムフラがステージに現れました。


え?この方は・・・


女性?男性?ほんとうに、どちらにだって見える・・・・。


ふっくらされており、まろやかな優しい笑顔と深い眼差し。


優雅な物腰。豊かな表情。気概に満ちているのに流れる様な動作。


お若いことは判るけど、ほんとは1000歳ですと言われても不思議と納得できそうな・・・。


一目で愛に満ちた、素晴らしい人間性だと伝わって来るような


何だかとっても大きな大きな存在感なのに、若者の可愛らしさもある。


(いやでもやはりほんとは1000歳では???)


そしてスタッフの方の説明で、この方は本当に神事として


ハワイの神さまの前でしか踊られたことがなく、今回も踊られません、


ただ歌や打楽器はされるし、ご家族は沢山踊られますよ、とのことでした。


また Tさんの小声のお話しによると、その若きクムフラは


ハワイから、この大都会に入ってから


ずっと高熱を出されており、今も実は下がらずなのだとか(>_<)


そんな・・・・泣。



なんだか一遍に胸がキリキリする気持ちで一心に見つめていると、


その若きクムフラはにこやかに会場に向け、丁寧にご挨拶をされました。


こんなに優しそうでソフトで、なのにかつこんなに威厳があるって


可能なんだ・・・これはまた良いものを見た。こんな良い目に遭えるなんて


これは何かのご褒美?(それとも・・・いつもの後払い?)



そして・・・・・


日本で言うところの祝詞?の様な、メロディのある言葉を


ハワイ語??で素晴らしく麗しい瑞々しいお声で、力強く唱えられ始めました。


まるで宙に向かって、何かご挨拶をされているような・・・?


何かに広く呼び掛けておられる様な・・・・・???


と、


それまで、完全に無風だった野外会場に


突然


大きな風が徐々に吹き始めました!!!!


え? 


まるで彼の呼びかけに、突然方々から風が全力で応えているようでした!!!


時が止まりました。鳥肌が立ち、あ然としました。


厳かな祝詞?はまだ続きました。


あちこちで、ますます公園の木々の枝々が、ざわざわと大きく揺れ始め、


観客の上に、沢山の葉っぱが渦を巻いてドサドサ落ちて来ました!!


あちこちで悲鳴が上がりました!!!




・・・・これは・・・



全然普通のことではない・・・



空白な頭でそう思いました。


今自分の見ているものが、信じられなかったです。こんなの生まれて初めて見ました。



その後、クムフラの祝詞?が終わると、


さーーーっと、ーまるで何事もなかったかのように


会場は静かに無風になりました。


どうもあちこちに鳥肌が立たれた方々がいたようで


皆で何も言えず、目を見開いてお互いの顔をひたすら見つめ合っていました(笑)



その後、そんなことって当たり前かのように、


若きクムフラの打楽器などで


愛らしい素敵なご家族が、(って相当な方々ですよね)にこやかに踊られ始めました。


何より、クムフラの声が。なんなんでしょう、世界中の蜜を集めたように甘く


しかし、さっぱりとただただ気持ちよく、これはまた


一生でも聴いていられる例のあの種の声だ・・・。


って、これが高熱で倒れそうな人の声???(>_<)


あり得ない・・・。凄すぎる・・・。


私はさっき、一体何を見たの? そして何を今見て聴いているの?



長くなりましたので、


明日の記事に分けますね。


(続く)

読んで下さった方、おられましたら


ありがとうございました。


また書きますね!


とんびオレンジ

雑記(ブログ)

こんにちは。初めてブログを書き始めて、1カ月と20日くらい経ちました。


こんな突拍子もないブログなのに、目を通して下さる方がおられて感謝しかありません汗。


ありがとうございます。今もですが、


よく「こんな内容のブログ、一体誰かが読んでくださるんだろうか?」とか


「こんな内容を長々と字だけで書いてあるだけのブログ、


きっとほとんど読まれないんではないか??」と思っていました。


最初の方は、そもそもブログ自体がほんとにちんぷんかんぷんで、


色んなブログの書き方のHPやYou tubeを見たりして


「まずは100記事書け」とか「こうこうこうやって収益化」とか


「ブログ続かない」とか「誰をターゲットに書いてるんだ」


「君は誰のどんな悩みをどうブログで解決するんだ!!」


「ほとんどのブログが続かないのだ」など見ていました(笑)


100記事も書いたら、きっととっくにネタが無くなってるよ汗・・・とか


収益化に至っては、やってみたい!10円稼げても感動するだろう!とは思いつつも


ただただ怠け者過ぎるだけで、貧乏なのにまだ全く何もやったことないし汗


アクセス解析も、はてなブログのだけだし、最近初めて「お知らせ」というのに気付いたし


対象?全然分からない・・そもそもそれって果たして自分で決められるものなのかな??


疑問・・・解決・・・うううう。続かないに至っては、いつでもそうなりそう・・・


(なんなら最近は読む専門・・・)



皆さんの様に写真を埋め込んだり、


字体を変えたり色を付けたり、私ももっと自由に、楽しくしてみたい!!とは思いつつも


ただ長い文章を書くばっかりで、それを何とか頑張って短くしようと、


でも一体どこをどう削るのか・・・?に頭を悩ませるばかりで


出勤前の時間が終わっています。(朝に書くのが好きです)


複数の友だちに、Xはやらないのかと訊かれ、広大な海過ぎて怖い感じがする~~~


と真剣に怯え、


が、そんなことをしばらくグルグルするのにもすぐ飽きて来て結局


ただただ、「いや、これは、自分の興味のある(見えない世界)のことを


文章に出来る、ってだけでもシンプルにありがたいし楽しい!!


ムリをせずに進めてマイペースで行こう!!


余裕が出て来て気が向いたら、徐々に他の色んなことにも挑戦してみればいいや!」


という基本に戻りました。


あとは「自分のカテゴリーが沢山並んだ所を見たい」という自分の興味で


最初はひたすら出勤前の朝に、集中して時間との闘いをしつつ、


(いつもはゴロゴロと邪魔ばかりの


三毛猫の福ちゃんも寄り付かない集中の仕方で)


書いては投稿書いては投稿してみたり。後で読み直すと、


記事の内容があちこち自分で突っ込みどころ満載で、


いつか「リライト」なるものをしてみたい!!と思ったり 


←ふんなこたあ皆さんとっくにされてるんだろうなぁ!!


最近は自分にムリのないペースで書いています。


(文章の推敲・校正がまったく自信なく、めっちゃ心配ですが・・・)



ふと、なんだか中学の頃みたいだなぁと感じました。


中学は、ど田舎の中学校で皆が本当に仲がよかったです。


(街の高校に行った時、あまりに皆がそっけなくてびっくりした。)


勉強はしない出来ない中学生なのに、友だちとその場の会話やノリや勢いの結果


せっせと「交換日記」をしていました。夜中まで書いていました。


気が付くと同性とだけですが、アホなノリ内容の交換日記を10人としており


毎朝せっせと階段の踊り場に座ってノートを皆に配ったりもらったりしていました。


部活も3つもやっていたのに(新体操・演劇・文芸)


よくもあんなことが出来たと思いますが、友だちのユニークで味のある交換日記を読むのが


ほんとに面白かったです。(自分のはひたすらただの超アホ満載だったと思いますが)


外見だけでは分からない、友だちの内面世界やこくのある味や薄味、リズム、ユーモアなどが感じられて。


交換日記ではありませんが、


今も皆さんのブログを読ませていただいて、とても興味深いです。


色んな文章やスタイル・リズムがあって、


色んな写真や絵があって、色んな生活や想いがあって、


色んなご興味があって、色んな人生の現在進行形があって、


その方の情熱・熱量・虚無や疑問なども伝わって来て、ほんとに味わい深いです。


ブログを始めたことで、色んな方の、自分の全く知らない世界の現在進行形を読めることも


今、同じ地球上に生きてて、なんか面白いなぁと思います。


自分がこんな1日を過ごしている間に、この方はあの方は、こんな風に生きておられた・・・


とか思うと、何だかとても不思議な感じがします。


たとえば


自分は小学生の頃、算数の割り算の段階でよく居残りさせられて


本気で「全然わがらない~~~あ”あ”~~~~」と鼻水垂らしてぐずぐず泣いては


帰らせてくれ日が暮れるじゃないか(海や山に行きたい)と先生に頼んでいた子どもでした(笑)



今、理数系の方々のブログを読むと、私の悪い頭では基本もちろんほとんど理解不能で


自分には到底出来ない世界なことばかりですが、それでも


難しいことをどんな人にも分かり易く書かれようとされるご配慮や文章力や高い社会性、


切り込み方やスタイリッシュな絵やお写真などにお人柄が感じられて、自分に全く無いものとして


ひたすら興味深く、感心しています。



あと、自分は結構その方の書かれる内容にも、もちろん興味が湧くのですが、


何を書かれないかや、余白や省かれる様式の方にもだいぶ興味が湧く方で、


(その方の省くスタイル?姿勢?と言うのでしょうか)(武士?の様に感じたり)


(理系の友だちからのラインは何故いつも2行以内?とか考えるのも面白いですし)



逆に色んな方が絵や写真、ブログスタイル・人生のスタイル・ご興味


文章・創作品などで、自由に豊かにご自分の世界や想いや情熱を率直に、


の~~~びのびと表現されたり、ストレートに書かれたり、


疑問を持たれたり虚無さえも味わい深いし


真剣に深堀りされたりしているのを見ても楽しいし、


ところどころで、じ~~んとしたり、勉強になったり、いつも感心します。


(自分ももっともっとそんな風に、自由にの~びのびやってみたいな~~~!!!と思ったり)


量も質感も情熱も、皆さんそれぞれが違ってて、どなたにも唯一無二の「味」がありますね!!!


最近は、気付くとつい、もっぱら書くより人のを読む専門に流れて行ってしまいそうです汗。


これも中学の頃と似ています。


皆さんのブログを見に行くと、「その人の世界の訪問」になっていて、よく


「これはまるで、惑星探索みたいだな~」と思います。



って、何を書いているのか分からなくなって来ました(笑)



ブログを始めて1か月と20日の半ばから、流石に途中で息切れがしてることに気付いて


いったん肩の力を抜いてからはだいぶラクになりました。


気付くとブログのお陰で、楽しい生活になっています。


ほんとうにありがとうございます。





って、雑談で下らないことを長々とすみません汗。



何とかムリのないペースで続けられたらと思います。


よろしくお願いします。



この辺で終わります。


読んで下さった方おられましたら、ありがとうございます。


また書きますね。


とんびオレンジ

実戦アイテムとしての原石

こんにちは。


皆さんは、原石・水晶やアメジスト、などにご興味はおありですか?


わ~~、胡散臭い・興味ないわ~~!とか、


そんなファンシー雑貨、わしゃ要らんわ~


という方もきっと多いこととは思いますが


今日はこのライトな話題を書いてみたいと思います。




私は昔、特に都会の福祉施設で働いていた頃など、


次々大勢に対応している時や、街の人混みに長くいると、


何とも言えない人酔いというか、しんどくなることが多く、


その時にバシっとすぐ瞑想したりできたら、


その感じがはっきりと抜けて行って、すぐ元に戻れたのですが、


勤務中とかだとそれはムリです。


なので、色々と試した結果、自分に即効性のある有効アイテムとして、


水晶とかフラワーエッセンスに辿り着いたところがあります。完全実用で。



ポケットの中の小さな水晶やアメジスト(紫水晶)などの原石を握り締めて、


その手に意識を向けてたりすると、


身体から徐々にす~~~と曖昧なそれらが頭から上に抜けて行ったり


どよ~~んとした意識が、徐々にクリアーになって来たりしました。


自分の好きな花のフラワーエッセンスを1,2滴口中に落としたりしても


同じで、ずいぶんラクになれたりしていました。


(フラワーエッセンスにはミストもありますので、


場に対して「ここは流石にヤバイだろ!?」などと感じたら、


誰もいない時にささっと一吹きしたり、両手に擦り込んだり


自分の後ろ頭に一吹きすると、


ずいぶんそこに居るのがラクになったりしました。)


私にとっては、つまりきっと周波数?エネルギー?調整アイテム?


みたいな実用扱いだったと思います。



当時、水晶などの原石については印象に残るエピソードがあります。


インドからの流れで、仲間たちと共に、ある方と親しくなりました。


まだ30代で、いつも気さくな兄貴なのに、実は


お話しの質がクリアーで深みがあり、同室にいるだけで気持ちが晴れ晴れしてくる人でした。


私から見ると、なんでこんな凄い方がひっそりとしてる?という、


云わば完全な「隠者」でした。(のちに、本も数冊出版されていた、


ある日本の聖者の直弟子さんだったと判明したのですが・・)


兄貴はあまりにも人間性が豊かで、実年齢に見合わない賢者的な面もあり、


特に色々とこじらせてる若者たちへの面倒見がよく、


明け方まで繰り返される悩み相談に乗ったり、


一緒に瞑想までもされていました。


時には若者に付き合って街に出掛けると、人込みで段々青色吐息で


座り込んでしまわれることがありました。


ベンチもない、カフェも見当たらないような時、ずいぶん


我慢して皆と歩かれていて、皆心配していましたが、


あるところで急にとても元気になられました。


不思議に思って尋ねると、


「いやぁ~~~実はさっきまで俺、ほんとにまずかったんだ。


正直もうじき、ぶっ倒れると思ってたよ(笑)


だけど、さっき皆で雑貨屋に入っただろ?


あの店に入った途端さ、一気にラクになったんだ!!!


急に視界も身体も、全部が明るくてとってもラクに、軽くなった。


おおおおお???どういうことだ!?と思って店内を見まわしたらさ、


全部の棚に、水晶や石たちが沢山並べてあっただろ?大きいのや小さいのや。


彼らだったんだよ!!


彼らが皆で、俺があそこに入った途端に、一斉に


せっせと俺がかぶってたモヤというか毒というか、街の


どよ~んとしたものを、全部健気に抜いて自分の身に引き受けようとしてくれてたんだ!!


皆で俺をラクにしようとしてくれてた。


それに気付いて、胸がいっぱいになって、涙が出そうだったよ。」


私の実感からするとあり得る話でした。


(石に意識なんかあるか!とか、そんな力あるわけない!


と思われる方は、いつもの様にこいつのファンタジーとしてお読み下さい(笑))




水晶は1ミリ育つのに100年?かかるとか、10センチ育つのに1万年?かかるとか


言われているようですが、手軽に売り買いされていることとその貴重さは


あまり比例していない気もします。




私はアクセサリーよりも、水晶やその他の「原石」が好きで、


自分の予算で買える石を買ったりしていました。(専門店の他に、


水晶などの博物館の売店や、大きなミネラルフェアーなどが安い)


大体貧乏なので、「ジャンク品」と書かれて床の段ボールに


十把ひとからげに無造作に置かれている原石の中から、


レアな原石を見つけ出すのが得意です(笑)


(正直、ちょっとレスキューぽい気持ちもあります。)


で、大体レジに持って行くと、


「これ、どこにありました?」などと疑わしく言われます(笑)


「そこの、ジャンクの箱にありました!」とあっけらかんと言う度に


「ほんとですか?こんな良いのが??おかしいなぁ~


俺がこれをジャンクに入れるなんて、どうかしてる!!」


とか、「イタタタタ、これが?あいつ、叱っとかないと。」など言われたり。


でも、こちらがガタガタ言わずに堂々としてたり、


「この水晶ね、△印ついてますよ。ほらここに。


(太古のメモリー?が封じてある?自然による印で、レコードキーパー?だっけ?)」


などと教えてあげると、ぎゃ~~~俺としたことが!!


などと頭を抱えられ、諦められます。


「お客さん、今日はほんとにラッキーでしたね。


この石も、どうしてもお客さんのところに行きたかったんでしょう、涙」


と、最後は無事に買えます。


手の平サイズの美しい鮮やかな青と緑のアズライトの石や


虹が沢山入ってる水晶なども、ジャンクの段ボールから時々見つけました。



また、前述の尊敬する兄貴から教わったのですが、


アメジストや水晶系などは、確かに


人や場からかぶったもやや毒などを抜いてくれるが、


それらは座る時間さえあれば、瞑想で充分抜ける。なのに平気な場所でも


アメジストや水晶を肌に着け過ぎていると、あまりにも今度は


意識が上に上がり過ぎてしまうこともあるので、


その辺は気を付けて、とのことでした。それも分かります。




人間が地球上に生きてるってことは、土というか、この肉体ともいい感じで


上手に親和性を保っていないといけないのでしょう。




その兄貴は、もしあまりにも急に意識が上に上がってしまい、身体に居られない感じが


したら、タイガーアイ(虎目石)の棒などを握り締めてるといいよ、


下に降りてくる、とも教えてくれました。


(そういう上がりっぱなしな時は、シンプルに誰もが


木に触ったり、裸足で土の上に立ったりすると普通は順調に降りて来るようですが。)


また、兄貴は、ターコイズ(トルコ石)は人から贈られたものが最大の力を発揮することや


「石たちは、人間が背負っている負のエネルギーを一生懸命


すぐに自分の身に引き受けようとしてくれるよ。


泣けてくるほど彼らは、とっても健気なんだ。


だから、あまりに背負い過ぎて色がくすんで来たり、汚くなったり


日に当たらない所で、持ち主に浄化してもらえなくてキャパオーバーになると、


最期に自分が割れてしまったりもする。


石を買って自分の手元に置く人には、


ほんとは(原石たちの親である)地球に対して責任があるんだよ。


割れたりする前に、彼らの状態に気を付けてあげなきゃね。」


と優しく教えてくれました。



霊媒師の方が、身に付けている石や手持ちの石たちを大切に


渓流に浸けている様子も見たことがあります。やはり。




原石を助けてあげるやり方は、尊敬する兄貴に教わった通りにしています。


原石たちを天然塩水にしばらくつけたり、天然塩の上に載せておいたり、


太陽光に当てたり、セージでいぶしたり、しばらく土に埋めたり


ネットに入れて渓流の水や、岩場の海水につけたりすると、結構


ピカピカに元気になったりしてうれしそうです。


甦る原石!!って感じ。



あと、


別の自分の尊敬する先生が、原石などに対して思うこととして


水晶とかそれらの石は、


本来は「その土地の」周波数を良い状態に保つため


地球上のそこに発生しているのであって、


それを人間がガンガン掘り返して、一個人のものとしたがる精神は


いかにも現代・消費者文明の発想、と言われた時は


ほんとに衝撃を受けました。



以来、よっぽどその石が自分のところへ来る必然性を感じられないと


原石を買わなくなり(と言うか、行かない・見ないようにしてる(笑))


今自分の元にある原石たちを、


責任を持って大切に手入れしようしています。



あと、余計なお世話なのですが、


田舎の町で古いお蕎麦屋さんなどの古いガラスディスプレイの中に、


土産の人形などと一緒にアメジスト(紫水晶)の塊が


ほこりをかぶって置いてあったりすると、めっちゃ気になります(笑)


専門の石屋さんの、ディスプレイ用の大きなアメジストなどが


ほこりをかぶっていたり。


いっそ、どぼ~んと海に浸けて休ませてあげたくなります。


願わくば、そのお店の方が定期的にハーブなどでいぶしてくれてたりすると


いいなと思います。



以上、長くなりました。


読んで下さった方おられましたら、ありがとうございました。


また書きますね。


とんびオレンジ